大変ご迷惑、ご心配をおかけしました。
ごめんなさい。
この一月半の経過を書きます。
2月22日の昼前ごろ、作業中にだるくてしょうがないので切り上げて帰宅して体温を計ると39.4℃でしたが、その時の状況と周囲の人たちの話から、日射病だと誤認してしまいました。
2月24日隣の村にある小さな病院へ行くと熱帯熱マラリアだと診断されました。
いったん帰宅して、今後の実験をルームメイトのべナンシ(アルベールの長男17歳)に頼んで駅近くの宿に向かおうとしたのですが、途中で意識を失いました。
3月某日目が覚めるとフランス領のレユニオン島のICUでした。
3月28日に帰国、即入院。
4月4日退院。
一時は急性腎不全の所為で一生透析かも、とか言われましたが、どうやら後遺症はなしで済みそうです。
まあ、輸血だいぶしたので、血液検査も受けてみないとまだ判りませんが。
正直、マラリアをちょっとなめていました。
マラリアに自分がいつかは罹患するということは分かっていたのですが、マラリアについての情報収集が不十分でした。
マラリアにかかっても研究をやりぬく、という固い決意もなく、前回の自転車旅行に行った時のように、自分が死ぬことについて考えることもありませんでした。
要するに、士道不覚悟だったわけです。
今度の病気はそのことの罰だったのかな、と解釈しています。
今は千葉の実家で療養しています。
上洛は15日ごろを予定しています。
どこから聞きつけたのか、わざわざ研究室や大使館や僕の実家まで電話してくれたりしたひとが何人もいたことを聞かされました。
ありがとうございました。
もう体重も52kgまでもどり、自由に歩き回れるようになりました。
僕はわりと元気です。
2009年4月4日土曜日
2009年2月13日金曜日
マダガスカルでの初バイト
山奥でバナナを収穫して5km離れた駅前市場まで運ぶ、というものです。
今まで知らなかったけど、熟してないバナナって無茶苦茶硬いんです。
たった17kgのバナナがゴリゴリ食い込んで、右肩→背中→左肩→頭のローテーションで耐えていたんですけど、泣きそうでした。
雇い主(アルベール)は50kg、奥さん(マリア)は20kgでした。
写真は僕の運んだバナナの計量ですが、へばってて気付いたときには自分の分は終わっていたので、撮影のために計り直してもらったというヤラセ写真です。
1kg80Arで取引されていました。
給料は1kgあたり30Arだったので、510Ar。
バナナ社会における最底辺に身をおいてみて、バナナのありがたみが改めて身に沁みました。
よく村で人からもらうバナナもそれからさらに旨く感じるようになりました。
ちなみに給料はあまりの渇きと疲労のため、その場で全てパイナップルに使ってしまいました。
その後はしばらく(というか今でもたまに)、「外人がバナナ運んだ」「たったの17kgで音を上げた」とまちで散々笑われました。
そういえば、Arと日本円のレートですが、大体1円=20Arです。
給料を日本円に換算すると大変なことになります。
あれ以来しばらくバナナ算を頭の中でしてしまいましたが…
今朝の朝食は6000Ar(都会だから高いんです)でした。バナナ200kg運搬しないとこれが食えないのか、と思うとやりきれないので、バナナ算はやめました。
政権争いについてですが、どうやらピークは過ぎているらしく、やや下火になってきています。
そもそも大統領V.S.市長というのにも無理がある気がするし、もう元市長には打つ手が残されていないとも言われていますが、一方であと3,4ヶ月は続くという話もあります。
今まで知らなかったけど、熟してないバナナって無茶苦茶硬いんです。
たった17kgのバナナがゴリゴリ食い込んで、右肩→背中→左肩→頭のローテーションで耐えていたんですけど、泣きそうでした。
雇い主(アルベール)は50kg、奥さん(マリア)は20kgでした。
写真は僕の運んだバナナの計量ですが、へばってて気付いたときには自分の分は終わっていたので、撮影のために計り直してもらったというヤラセ写真です。
1kg80Arで取引されていました。
給料は1kgあたり30Arだったので、510Ar。
バナナ社会における最底辺に身をおいてみて、バナナのありがたみが改めて身に沁みました。
よく村で人からもらうバナナもそれからさらに旨く感じるようになりました。
ちなみに給料はあまりの渇きと疲労のため、その場で全てパイナップルに使ってしまいました。
その後はしばらく(というか今でもたまに)、「外人がバナナ運んだ」「たったの17kgで音を上げた」とまちで散々笑われました。
そういえば、Arと日本円のレートですが、大体1円=20Arです。
給料を日本円に換算すると大変なことになります。
あれ以来しばらくバナナ算を頭の中でしてしまいましたが…
今朝の朝食は6000Ar(都会だから高いんです)でした。バナナ200kg運搬しないとこれが食えないのか、と思うとやりきれないので、バナナ算はやめました。
政権争いについてですが、どうやらピークは過ぎているらしく、やや下火になってきています。
そもそも大統領V.S.市長というのにも無理がある気がするし、もう元市長には打つ手が残されていないとも言われていますが、一方であと3,4ヶ月は続くという話もあります。
2009年2月9日月曜日
暇なのでもう一つ。
先週の金曜日、一日の歩行距離の自己記録を更新しました。
46.77km!まあ、そんなにたいしたことないかもしれないけど。
金曜日の朝、実験圃場の調査を終えて調査地のチンバ村から、フィアへ向かおうとすると、「昨日バナナたくさん運んだから、今日は列車ないよ」とのこと。
金曜日にフィア行きの客車があることも、木曜にバナナ運ぶこともずっと前から決まってるんだから、その辺どうにか調節できないんだろうか?
この列車というのが中々の代物で、壊れて動いてない期間のほうが長いんじゃないか?ってくらいで、始発駅で出発時間が守られたことは一度もないし、先月なんて「あとちょっとで出発するから」と言ううちに13時間経過し、「よ~し、出発するぞ!あっダメだ、壊れた」と払い戻し。
話を元に戻して。
バスも無かったし、そこまで急いでもいないので諦めて家に戻ろうとテクテク歩いていると、突然「そうだ、歩いていこう」という考えが浮かび、なんかとても素晴らしい事な気がしてきて、そうなると居ても立ってもいられなくなって、周りの人たちには「今台風が来てるから一日中雨だぞ」「60kmだぞ、大丈夫か?」「今11時だぞ、着く訳無いだろ、どこで寝る気だ?」と止められるも、「大丈夫、どうにかなる、行きたいんだ」と振り切って出発してしまいました。
はじめの10kmはなんか無性に嬉しくて拾った竹を無茶苦茶に振り回していたのですが、線路のゴロゴロ石の上を歩くのがこんなにシンドイとは知りませんでした。
25kmくらい過ぎたころには、雨でグチョグチョになった靴をガポガポ言わせながら、泣き出しそうになって、「おうちに帰りたい」とか呟き出す始末。
35km地点(8時過ぎくらい?)くらいで、30kmにわたって抜きつ抜かれつした道連れが(鶏と酒の行商人なのですが、雨のせいか鶏が弱ってて一羽も売れてませんでした。酒売りの方は20Lを頭に乗っけて、自分よりさらに30km向こうから歩いてきたらしい)「俺はここで寝る」と駅の軒先に座り込んでしまいました。
毛布も無く、びしょぬれの鶏(途中で一羽死亡)を連れ、半ズボン半そでで駅の軒先で丸まって寝る彼の夜を思うと申し訳なかったんですが、自分にはホテルが必要だと思い、ホテルがあるらしい次の駅まで歩くことに。
道連れも無く、見知らぬ土地で、真夜中(普段8時就寝なので)に降りしきる雨、下半身全体が筋肉痛、という素晴らしい状況で逆にハッピーになったり、落ち込んだりと忙しくハイとローを行ったり来たり。
11時半ごろ目的の駅付近について(そのころにはとっくのとうにフィア到達は諦めていました)、ホテルの値段をパン恵んでくれた人に聞くと8000Arでした。
村にすんでいると1Arが1円以上の価値があるので、感覚が狂ってて、高すぎる!と思ってしまい、寒風(熱帯だから暖かいと思われるかも知れませんが、朝夕は冷えるし、そこは高度1000m以上で寒いんです)吹き荒び、ハマダラカが飛び交う駅のベンチで寝ることに。昔、友人に「お前、ベンチャーって向いてるんじゃん?公園ベンチャー。」と言われた事を懐かしく思い出しながら。
着替えも濡れてて寒くてしょうがないし、蚊が気になって一睡も出来ずに居ると、朝4時ごろ、駅の中から人が出てきて中に入れてくれました。
入ってみると似たような境遇の人が5,6人。
駅寝というのはマダガスカルでは一般的な文化のようです、って言うか最初から入れてくれ!
朝6時ごろ、貨物列車が来てバナナと一緒に僕も運んでくれました。
でも、この列車は自分の出発地点を通ってきたわけで、そう思うと大変複雑な気分でした。
そんな訳で、久しぶりの旅行でした。
歩きの旅っていうのも意外といいもんですね。もしもどこの会社も雇ってくれなかったら歩いてチベット一周とかしてみようかな?こんなこと言ってたら本当に公園ベンチャーになっちゃいそうだけど。
46.77km!まあ、そんなにたいしたことないかもしれないけど。
金曜日の朝、実験圃場の調査を終えて調査地のチンバ村から、フィアへ向かおうとすると、「昨日バナナたくさん運んだから、今日は列車ないよ」とのこと。
金曜日にフィア行きの客車があることも、木曜にバナナ運ぶこともずっと前から決まってるんだから、その辺どうにか調節できないんだろうか?
この列車というのが中々の代物で、壊れて動いてない期間のほうが長いんじゃないか?ってくらいで、始発駅で出発時間が守られたことは一度もないし、先月なんて「あとちょっとで出発するから」と言ううちに13時間経過し、「よ~し、出発するぞ!あっダメだ、壊れた」と払い戻し。
話を元に戻して。
バスも無かったし、そこまで急いでもいないので諦めて家に戻ろうとテクテク歩いていると、突然「そうだ、歩いていこう」という考えが浮かび、なんかとても素晴らしい事な気がしてきて、そうなると居ても立ってもいられなくなって、周りの人たちには「今台風が来てるから一日中雨だぞ」「60kmだぞ、大丈夫か?」「今11時だぞ、着く訳無いだろ、どこで寝る気だ?」と止められるも、「大丈夫、どうにかなる、行きたいんだ」と振り切って出発してしまいました。
はじめの10kmはなんか無性に嬉しくて拾った竹を無茶苦茶に振り回していたのですが、線路のゴロゴロ石の上を歩くのがこんなにシンドイとは知りませんでした。
25kmくらい過ぎたころには、雨でグチョグチョになった靴をガポガポ言わせながら、泣き出しそうになって、「おうちに帰りたい」とか呟き出す始末。
35km地点(8時過ぎくらい?)くらいで、30kmにわたって抜きつ抜かれつした道連れが(鶏と酒の行商人なのですが、雨のせいか鶏が弱ってて一羽も売れてませんでした。酒売りの方は20Lを頭に乗っけて、自分よりさらに30km向こうから歩いてきたらしい)「俺はここで寝る」と駅の軒先に座り込んでしまいました。
毛布も無く、びしょぬれの鶏(途中で一羽死亡)を連れ、半ズボン半そでで駅の軒先で丸まって寝る彼の夜を思うと申し訳なかったんですが、自分にはホテルが必要だと思い、ホテルがあるらしい次の駅まで歩くことに。
道連れも無く、見知らぬ土地で、真夜中(普段8時就寝なので)に降りしきる雨、下半身全体が筋肉痛、という素晴らしい状況で逆にハッピーになったり、落ち込んだりと忙しくハイとローを行ったり来たり。
11時半ごろ目的の駅付近について(そのころにはとっくのとうにフィア到達は諦めていました)、ホテルの値段をパン恵んでくれた人に聞くと8000Arでした。
村にすんでいると1Arが1円以上の価値があるので、感覚が狂ってて、高すぎる!と思ってしまい、寒風(熱帯だから暖かいと思われるかも知れませんが、朝夕は冷えるし、そこは高度1000m以上で寒いんです)吹き荒び、ハマダラカが飛び交う駅のベンチで寝ることに。昔、友人に「お前、ベンチャーって向いてるんじゃん?公園ベンチャー。」と言われた事を懐かしく思い出しながら。
着替えも濡れてて寒くてしょうがないし、蚊が気になって一睡も出来ずに居ると、朝4時ごろ、駅の中から人が出てきて中に入れてくれました。
入ってみると似たような境遇の人が5,6人。
駅寝というのはマダガスカルでは一般的な文化のようです、って言うか最初から入れてくれ!
朝6時ごろ、貨物列車が来てバナナと一緒に僕も運んでくれました。
でも、この列車は自分の出発地点を通ってきたわけで、そう思うと大変複雑な気分でした。
そんな訳で、久しぶりの旅行でした。
歩きの旅っていうのも意外といいもんですね。もしもどこの会社も雇ってくれなかったら歩いてチベット一周とかしてみようかな?こんなこと言ってたら本当に公園ベンチャーになっちゃいそうだけど。
2009年2月8日日曜日
調査が思うように進みません。
2009年1月21日水曜日
またちょっと食事の話を書きます。
以前書いた、うまい!一辺倒の話、あれも嘘ではないのですが、いろいろと問題もあります。
まず、米は旨いのですが、おかずが本当に少ない。でも、それはそれでいいのですが、問題はキャッサバです。
キャッサバって言うのは、一言で言うと、甘くないサツマイモ(これ以上にピッタリくる表現はない)なのですが、おやつとしてならわりといけます。
でも一食キャッサバだけ、というのがしんどくて、そういう時は「贅沢言って済みませんでした、おかずなんて要らないから米食わせてください!」と嘆願したくなります。
でも、キャッサバの収量を研究するといっている手前、「僕キャッサバ大好きです!」と言っています。
このあいだ、アルベール(ホストファーザー)に「2月は米があんまりないから、キャッサバとバナナの煮物ばっかりになる。これがわれわれの伝統だ」と言われました。「へ~美味しそうですね」と返しましたが、内心「まじかよっ」とちょっと落ち込みました。
それと、果物はたくさん食べれるんですが、どぎつい甘さになれている自分には甘味が不足(単にカロリー不足かも)しているらしく、蜂蜜をアルベールから購入したのですが、お土産にしようと思っていたのに一週間たらずでプーさんのように1L以上を一人でなめてしまいました。さらに、都市部にくると異常なチョコレート中毒に襲われて、一日5000Ar分くらいのチョコレートを消費してしまいます。ちなみに調査地での食費は一日1500Ar、家賃は月20000Arです。
ライチモマンゴーも本当にくそ旨いんですけど、それでは補えない欲望もあるみたいです。どうやらそれは現地の人にも言えるらしく、部屋でこっそり蜂蜜舐めてるのがばれた時には「俺にも俺にも」と言われるし、クッキーとかチョコとかのお菓子がすごい珍重されます。
写真1は面白がって赤ん坊に無理やりバナナを食べさせているのですが、飽きるとぐちゃぐちゃになったバナナを「はい、あげる」とおしつけられました。写真2は牛を使って代掻きしています。作業しながら、地酒を呷るのですが、最後のほうでは異常なハイテンションで牛をぶん殴ったりロデオドライブしたりしてました。そのうち死人でないか心配です。こういう共同作業のあとは旨いメシを大量に食えます。インゲンマメの煮物(マダガスカルで一番旨いおかず。莢インゲンが嫌いなので最初と惑いましたが、旨すぎてびっくりします。)と魚とご飯で宴会しました。
まず、米は旨いのですが、おかずが本当に少ない。でも、それはそれでいいのですが、問題はキャッサバです。
キャッサバって言うのは、一言で言うと、甘くないサツマイモ(これ以上にピッタリくる表現はない)なのですが、おやつとしてならわりといけます。
でも一食キャッサバだけ、というのがしんどくて、そういう時は「贅沢言って済みませんでした、おかずなんて要らないから米食わせてください!」と嘆願したくなります。
でも、キャッサバの収量を研究するといっている手前、「僕キャッサバ大好きです!」と言っています。
このあいだ、アルベール(ホストファーザー)に「2月は米があんまりないから、キャッサバとバナナの煮物ばっかりになる。これがわれわれの伝統だ」と言われました。「へ~美味しそうですね」と返しましたが、内心「まじかよっ」とちょっと落ち込みました。
それと、果物はたくさん食べれるんですが、どぎつい甘さになれている自分には甘味が不足(単にカロリー不足かも)しているらしく、蜂蜜をアルベールから購入したのですが、お土産にしようと思っていたのに一週間たらずでプーさんのように1L以上を一人でなめてしまいました。さらに、都市部にくると異常なチョコレート中毒に襲われて、一日5000Ar分くらいのチョコレートを消費してしまいます。ちなみに調査地での食費は一日1500Ar、家賃は月20000Arです。
ライチモマンゴーも本当にくそ旨いんですけど、それでは補えない欲望もあるみたいです。どうやらそれは現地の人にも言えるらしく、部屋でこっそり蜂蜜舐めてるのがばれた時には「俺にも俺にも」と言われるし、クッキーとかチョコとかのお菓子がすごい珍重されます。
写真1は面白がって赤ん坊に無理やりバナナを食べさせているのですが、飽きるとぐちゃぐちゃになったバナナを「はい、あげる」とおしつけられました。写真2は牛を使って代掻きしています。作業しながら、地酒を呷るのですが、最後のほうでは異常なハイテンションで牛をぶん殴ったりロデオドライブしたりしてました。そのうち死人でないか心配です。こういう共同作業のあとは旨いメシを大量に食えます。インゲンマメの煮物(マダガスカルで一番旨いおかず。莢インゲンが嫌いなので最初と惑いましたが、旨すぎてびっくりします。)と魚とご飯で宴会しました。
2009年1月5日月曜日
あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
正月をチンバ村(調査地)で迎えました。
皆正月だから夜更かしします。普段8時半に寝てるので、大して呑んでないはずなのに2時まで踊ったらフラフラになりました。
翌日の夜から39℃以上出てマラリアかと思ってちょっと焦りました(前日にマラリア治療薬を人にあげてしまっていたので)。
噂によると地酒(サトウキビの焼酎)にナントカって言う悪性の不純物が大量に入っているらしいので、そのせいかもしれません。
地元の有識者もあれは飲むな、といってますが…
阿波踊りみたいな伝統芸能的な(?)踊りを期待していたのですが、割と普通な素朴で単調な踊りでした。
それを皆何時間でもぶっ通しで踊ります。
ところで、ついさっき知ったのですが、今年って丑年だったんですね。
牛と言えば、マダガスカルにはゼブ牛っていう40cmくらいのゴッツイ角持ったやつがいます。写真はありませんが。
地元民も道で出会うとかなり大げさによけます。
聞いた話によると突き殺された人もいるとか…
写真は正月に買った服に身を固めた人たちです。
いい服を着る、と言うのがここの人たちにとっては最高の贅沢のようです。
豚の解体を見せてもらいました。豚の悲鳴ってすごいですね。
正直二度と聞きたくない、凄惨な叫びなんですけど、皆それを聞いて笑ってます。どういう神経してんだ?とちょっとびっくり。
解体作業は、ラットの解剖とそっくりでした。
共同出資だったので10家族に均等に分けるのに、僕が持っていた実験用のはかりを使われたのですが、豚の脂まみれにされて返されました。
正月をチンバ村(調査地)で迎えました。
皆正月だから夜更かしします。普段8時半に寝てるので、大して呑んでないはずなのに2時まで踊ったらフラフラになりました。
翌日の夜から39℃以上出てマラリアかと思ってちょっと焦りました(前日にマラリア治療薬を人にあげてしまっていたので)。
噂によると地酒(サトウキビの焼酎)にナントカって言う悪性の不純物が大量に入っているらしいので、そのせいかもしれません。
地元の有識者もあれは飲むな、といってますが…
阿波踊りみたいな伝統芸能的な(?)踊りを期待していたのですが、割と普通な素朴で単調な踊りでした。
それを皆何時間でもぶっ通しで踊ります。
ところで、ついさっき知ったのですが、今年って丑年だったんですね。
牛と言えば、マダガスカルにはゼブ牛っていう40cmくらいのゴッツイ角持ったやつがいます。写真はありませんが。
地元民も道で出会うとかなり大げさによけます。
聞いた話によると突き殺された人もいるとか…
写真は正月に買った服に身を固めた人たちです。
いい服を着る、と言うのがここの人たちにとっては最高の贅沢のようです。
豚の解体を見せてもらいました。豚の悲鳴ってすごいですね。
正直二度と聞きたくない、凄惨な叫びなんですけど、皆それを聞いて笑ってます。どういう神経してんだ?とちょっとびっくり。
解体作業は、ラットの解剖とそっくりでした。
共同出資だったので10家族に均等に分けるのに、僕が持っていた実験用のはかりを使われたのですが、豚の脂まみれにされて返されました。
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